愛とお金の引き寄せ心理学

努力で変わらなかった現実がするっと好転

堂々と、いい嫉妬をしよう

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こんにちは!小島です。

先日、小1の娘がこんな悩みを告白してくれました。

学校の授業中、先生からこう聞かれますよね。
「この問題、わかる人~?」

すると、答えが分かる子はいっせいに手を上げる。
娘も分かるときは手を上げているそうです。

でも、娘が手を上げるたびに・・・、隣りの席の男の子が、娘の脇の下をくすぐってくるんだそうで。。

あげた手の脇の下をです。

 

娘にしてみれば、「なにしてんじゃ~!?」って感じらしくて。

そりゃそうですよね、うん、そうなんですけど、娘には申し訳ないですが、わたしはゲラゲラを大笑いしました^^

ああ、かわいいな~、その男の子。
手を上げている娘に嫉妬しているんだな~って。

 

嫉妬はチャンス?引き寄せへの影響

嫉妬、ジェラシー、そねみ、ねたみ、・・・こういうの、厄介な感情ですよね。

子どものやりとりなら、微笑ましく受け取れますが、これが大人になると、かなり厄介です。

嫉妬を受けたり、うまくかわしたりも大変。
ですが本当にダメージを受けるのは、もちろん嫉妬するほう。

なぜって、嫉妬している相手と同じ幸せは引き寄せられないからです。

 

え?嫉妬はチャンス、引き寄せのシグナルなんじゃないの?って思った人がいるかもしれませんね。

誰かに嫉妬するってことは、自分にも幸せがやってくる、引き寄せられると感じているからだと聞きます。

 

たしかに、そういう「いい嫉妬」というのは、望ましいことを引き寄せる磁石や、シグナルであったりもするでしょう。

けれど、どんなに「悪い嫉妬」の炎を燃やしたところで、そのうらやましいものを引き寄せることはありません。

かりに引き寄せても、いびつなものであって幸せはつづかないでしょう。

 

道徳的にいいとか悪いとかではありません。
ただ、引き寄せやすいかどうかだけ。

嫉妬には、引き寄せに役立つものと、妨げになるものの2種類ありますからね。

 

酸っぱい葡萄と引き寄せ

酸っぱい葡萄、という寓話をご存じでしょうか?

森の中を、お腹を空かせたキツネが歩いている。
すると、大きな木に美味しそうな葡萄がなっているのを見つけました。

けれど、手を伸ばしてもキツネの背では届かない。
ジャンプしても、ジャンプしても、美味しそうな葡萄には手が届かない。

そのうちキツネはこう考えはじめる。

どうせあの葡萄は酸っぱいにちがいない。
酸っぱくてマズイんだから、とったって意味がないよと。

そうやってキツネは文句を言いながら、その場を立ち去っていくというお話です。

 

私たちには、欲しくても手に入らないものをうまく理屈づけして、手に入れなくてもいい理由を作り出す無意識のクセがあります。

これは脳(思考)の働きであり、心を守るための防衛本能ですね。
誰だって、傷つきたくはないですから。

 

あなたの嫉妬はどんなテイスト?

小学生の子どもも、寓話のなかのキツネも、そして私たち大人もまた、酸っぱい葡萄を隠しもっています。

勉強、仕事、健康、成功、お金、幸せな結婚、あれやこれや、人がもっていてうらやましい、くやしいと感じるものはすべて、私たちは酸っぱい葡萄として遠ざけている可能性がある。

 

嫉妬はあって当たり前。
ただ、ここで気を付けたいのは、どんなテイストの嫉妬なのか?

ああ、うらやましい、くやしい、でも、「私だってその幸せにふさわしい」と心から感じているのか。

それとも、ああ、うらやましい、くやしい、でも、「どうせ私にはその幸せにふさわしくない」と感じているのか。

 

前者であれば、ハングリー精神という形でその人が望みを引き寄せるエネルギーになるでしょう。

けれど後者だと、それこそ、そねみ、ねたみとして、足をひっぱったり、どうせ意味がないだろうと、はなからあきらめてしまいかねません。

こうした悪い嫉妬は、わたしたちから望ましい現実を無意識に遠ざけます。

お金持ちをねたんだら、お金を遠ざけてしまう。
幸せな夫婦をねたんだら、円満な家庭生活を遠ざけてしまう。

 

いい嫉妬と悪い嫉妬の違い

さて・・・、いい嫉妬と悪い嫉妬、その違いはどこにあるのでしょう?

「私もその幸せにふさわしい」と感じているかどうかです。

 

嫉妬をエネルギーに変えられる人は、すでにその幸せをもっている人を見たら、悔しい、私だって手に入れられるはずだと思うんですよ。

だから、その幸せをつかむ行動や選択を無意識にしている。

でも、悔しい、でも私には無理だ、ふさわしくないと信じていたら、あの幸せはどうせ手に入れてもたいしたことはない、手に入れる価値はない、と脳(思考)が勝手に理屈付けて納得してしまう。

すると、どうなるか。

幸せをつかむよりも、その場から立ち去ることを選んでしまうんですね。

キツネのようにです。

 

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冒頭で、脇の下をくすぐってくる男の子の話をしました。

その男の子が授業中に手をあげようとして、でもやめてしまったという光景を、娘は見たことがあるそうです。

その子もきっと、手を上げたかった。
でも、勇気がなかったのかな・・・、どうしてもあげられない。

隣りの女の子は、自分ができないことをする。

くやしい、でも、自分にはできない。

授業をもっとよく聞いたり、家で勉強して自信をつけたり、くやしいから手をあげられるように工夫することだってできるけれど・・・。

でも、その男の子にはとてもそうは思えない。

 

手を上げている子の脇の下をくすぐることで、授業中に手を上げることには大して意味がないんだと、これは酸っぱい葡萄なんだと思いたがっているのかもしれません。

なんで、手なんかあげちゃってんの?バカみたいじゃん、という感覚でしょうか。

 

堂々と、いい嫉妬をしよう

もちろん、私たち大人も似たようなことをしていますよね、職場でも、家庭でも、ご近所でも。

うらやましいという気持ち、くやしい気持ち、幸せそうな人をみたら、複雑な感情が一瞬でわきあがります。

 

けれど、その人と同じ幸せを引き寄せるには、酸っぱい葡萄とみなすような悪い嫉妬ではなく、堂々と、健全に、いい嫉妬をしましょう。

「わたしもその幸せにふさわしい。
きっと同じ幸せを引き寄せるだろう。」

 

誰かの脇の下をくすぐってばかりでは、手を上げる喜びや自信を味わうことはないですから。

お金、仕事、幸せなパートナーシップ、どれを引き寄せるうえでも大事なことは、わたしはその幸せにふさわしいと感じられるかどうか?

どうせ嫉妬するなら、嫉妬をエネルギーにして、願いを叶えていきたいものですね。

 

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