この夏、私は家族と伊豆旅行に行きました。
6歳の娘にとっては、人生初の海水浴!
なかでも、娘と浮き輪につかまり、沖まで泳いだことが一番の思い出です^^
なぜなら、ちょっとした冒険、「コンフォートゾーン」からの脱出だったから。
コンフォートゾーンとは、快適でいられる領域のこと。
人って放っておくと、馴染みのある、安全で居心地のいい活動範囲に留まってしまうんですよね。
コンフォートゾーンから抜け出すことを意識すると、人生は確実に変わりはじめます。
コンフォートゾーンという足かせ
そこは入り江の穏やかな海でした。
沖合に黄色いブイがぷかぷか浮いてるのが見える。
浜から100mくらい、15分くらいかかるでしょうか。
「あそこまで行ってみようか」
娘にそう声をかけたら、ひどく怖がりましてね。
「だれもいないよ、もどってこれなくなったらどうするの?」
「ぜったい大丈夫、あのブイまで行ってみよう。
ブイにタッチしたらきっとうれしいよ♪」
そうやって励ましながら、娘の手を引いて沖へと泳ぎつづけました。
もちろん、怖いのは当たり前ですよね。
海なら周りに人がいて、足のつく浜辺近くで遊んでいたほうが安心感があります。
誰もいない沖合にでて、わざわざ怖い思いをする理由がない。
でも、安全な場所でぷかぷか浮いているだけじゃ、つまらないんじゃないの?って。
娘にとっては余計なお世話なんでしょうけど。
大人になると、誰でも自分の殻を破りたい、って思うときがあるものです。
閉塞した環境や状況から、思いきり飛び出したい、そう切実に感じるときがある。
でも、コンフォートゾーンに留まるクセがついていると、ここぞという時に、飛び出す勇気がでないんですよ。
できないと思っていたことが出来た感動体験
昔、28歳のとき、ひとりでツアーに参加して、ハワイのホノルルマラソンを走ったことがあります。はじめての海外旅行でした。
自分を変えたかったんでしょうね。
何か分からないけれど、今までしたことがなかったことをしてみたかった。
変わり映えのしない退屈な仕事も、臆病な自分も、42.195kmを走ったら変わるような気がした。
当たり前のようにくり返している日常、コンフォートゾーンから抜け出してみたかったんです。
ああ、人間ってこんな長い距離を走れるんだなって、自分ながら思いました。
行ったことのないところまで、もっともっと遠くまで、行けるようになるかもしれないって。
それから20年がたち、浮き輪につかまって、娘とふたりで足をばたつかせたのが今年の夏。
浜辺へと押し返すいくつもの波を乗り越えて、ブイに手が届いたときの娘の喜びようといったら、それはもう。
やったー!やったねー♪
あなたにもありませんか?
できないと思っていたことが、できたときのこのうえない感動体験が。
コンフォートゾーンから抜け出した感動体験は?
「これまでの人生で、できないと思ってたのに、できたことはありませんか?」
仕事でも、恋愛でも、友だちづきあいでもなんでもいいんです。
「どうせムリだろうなとあきらめていたら、思いのほかうまくできたことは?」
そういう体験を、どんなに小さくてもいいから、ノートに書きだしてみてください。
面倒くさければ、今、ここで思い出すだけでもOK。
あなたがこれまでにコンフォートゾーンから抜け出せた体験を、大小を問わずに思い起こしてみましょう。
これからもっともっと、遠くまで行けるかもしれない・・・、新しい可能性に目を向けられるように。
コンフォートゾーンから抜け出すと、人生は変わる
私には15~30年以上の付き合いになる友人が、そこそこいます。
長い期間で交流しているとはっきり分かることがある。
人生が変化している人と、変わり映えしない人がいるんですね。
状況が変わらない人に共通しているのは、「失敗したくない、傷つきたくない、安全でいたい」という強すぎる思い。
リスクを恐れて安全に生きようとすればするほど、人生はジリ貧になりかねません。
怖くても、不安でも、やってみたほうがいいことってたくさんある。
「安全への欲求が、人の偉業を妨げる」とローマの哲人タキトゥスは言いました。
たとえ、偉業までは望まなくても、今より人生の満足度を引き上げたいなら、「怖くてももしかしたらできるかもしれない」という体験を意識的に積み重ねてみましょう。
そのためにまず、あなたのなかで成し遂げてきた偉業に心を向けてください。
どんなにささやかな成功体験であってもです。
たとえ怖くてもできたことがあったのなら、今はまだ怖くても・・・できるようになることがいっぱいある、ということの証明ですから。
6歳でも、30歳でも、50歳でも・・・、コンフォートゾーンから抜け出せたら、退屈な人生は感動体験へと変わりはじめますよ。