先日、深夜にトイレへ行こうと、ぼんやり暗がりを歩いていたら、ゴツンっ。
柱の角におでこをぶつけて、目の上がすこし裂けてしまいました。。
昔はこういうことがあると、「なんでこんなことになったんだろう?」「情けない」「ツイてない」と、起きたことの理不尽さに腹を立てたものです。
ですがその時は不思議と、「こんなしょうもない出来事にも、なにか意味があるんだろうか・・・」とポジティブに考えている自分がいました。
ユーミンの曲にこんな歌がありますよね。
「目にうつる~、すべてのことは~ メ~ッセ~ジ~」
出来事にはなにかしら意味がある。
ネガティブなことのなかにも「ポジティブになる」要素を見つける習慣があると、もっと好ましい現実を引き寄せやすくなります。
出来事から、ポジティブな意味を引き出す
いいことも、悪いことも、それを自分が経験しているってことは、その人にとって何か大切なメッセージが隠されているもの。
手前ミソになりますが、こういう考え方をこんなふうに表現します。
「出来事から、ポジティブな意味を引き出す。」
私もたいがい、イヤなことがあると人のせいにしたり、おでこにケガしたら、なんでこんなところに柱があるんだ!と環境のせいにしたくなるんですが・・・
ネガティブな気持ちにひたっていては、ツイてない状況から抜け出せません。
ネガティブの連鎖を断ち切れなくなってしまう。
もちろん、自分の体験することはすべて自己責任だ、っていうのもなんかやさしくないな、とは思うんですよ。
そんなに自分を責めなくても・・・ね。
罪悪感など、米つぶほども役には立ちませんから。
ポジティブになる質問の使い方
そこで、イヤなことがあったときは、こんなふうに自問してはいかがでしょう。
「この出来事はいったい、私に何を教えようとしてるんだろう?」
あるがままを受け止めて、そこから何かポジティブになるものを見つけようとする。
他人のせいにも、自分のせいにもしない。
柱におでこをぶつけて、「これはいったい誰のせいなんだ?」と問いかけるより、「私に何を教えようとしているんだろう?」と問いかけたほうが、ずいぶんポジティブになれますからね。
これって、ただの、質問のクセです。
性格や気質によるものじゃなく、どういう質問を自分にするクセがあるかどうか?
自分にどんな質問をするかで、これから引き寄せる現実は変わります。
他人も自分も、誰も責めない
他人のせいにしがちな人がいる。
また、自分のせいにしがちな人もいる。
一見、自分のせいにしがちな人のほうが、好ましそうですが、他人にであれ、自分にであれ、厳しくて冷たいのは同じです。
そこにはやさしさがありません。
一番いいのは、他人も自分も誰も責めない。
ただ、起きた出来事から何を学ぼうとするのか?
たとえば、収入がなかなか増えないのは、経済状況や職場のせいなのか?(誰かにせいにしたほうがすっきりするだろうけど・・・)
いい出会いに恵まれないのは、偏屈や身勝手さのせいなのだろうか?(いっそ自分のせいにしたほうが、居心地がいいかもしれないけど・・・)
ただ、こう問いかけてみる。
「この出来事や状況は、私に何を教えようとしているのかな?」
この質問が、ネガティブな状況にあっても、ポジティブな方向へと抜け出すきっかけになるかもしれませんよ。
大切なメッセージに気づくために・・・
ちなみに・・・、目にうつるメッセージって、出来事として現れるだけではなく、誰かの口を借りて、私たちに伝えられることも。
周りの人のアドバイスや苦言という形で、表現されるメッセージ。
そういう耳の痛い話ほど、人生を変えるような、大切なメッセージである可能性があります。
私も忘れてしまいそうになったら、この歌を口ずさもうと思います。
「目にうつる~、すべてのことは~メ~ッセ~ジ~」
そうやって、自分にいい質問のクセをつけていきましょう。
ところで、私が柱におでこをぶつけたことにはどんな意味が?
・・・心当たりはあるんです。
忙しく、焦り気味だったので「立ち止まって、ちょっと休みなさい」、そんなことだったのかな~と^^
そういえば、ユーミンの歌詞にはこうありました。
やさしさに包まれたなら、
きっと、目にうつる、すべてのことはメッセージ
自分にも他人にもやさしくなってはじめて、人生が教えてくれる大切なメッセージに気づけるのかもしれませんね。