「親が嫌い、親のことが許せない。」
こんにちは、小島です!
クライアントさんからお金や結婚、恋愛の悩みを伺っていると、最終的にこういう感情を無意識下から引き出すことがあります。
「親が大嫌い」
なぜ、お金や愛の悩みが、両親と関係するんだろう?と思うかもしれませんが・・・。
私たちのココロの土台を作ったのは、まぎれもなく、両親です。
生まれたときから、一番近くにいた存在ですから。
たとえば、お金を得る価値がない、私には愛される価値がないといった、幸せを遠ざけるネガティブな思い込みも、親との葛藤が原因になったりします。
なんだか、お金や愛でつまづきやすいな・・・と感じたら、「親が嫌い、許せないという思いがないか?」と疑ってみてくださいね。
人それぞれ、事情はあるけれど・・・
そうは言っても、いろいろ干渉してくる、ずっと無関心だった、なかには身体的、もしくは精神的に虐待されたという人もいるかもしれません。
他人が育った家庭のことです、単純に道徳や損得をふりかざして、「親を許そう、大切にしよう」なんて言えません。
誰だって、何かしら事情を抱えて生きているんですから。
何を隠そう、私も親が嫌いでした。
父親が嫌いだったんです。名前で呼んでくれたことがなくて・・・。
「よしゆき」そう呼ばれたことが、46年間、一度もない。「おい!」とか、小さい時からずっとそんな調子でした。
私が育った70年代、80年代は高度成長とバブル期で、世間のお父さんたちはみな、働きバチなんて言われてました。
うちの父も例外でなく、仕事とゴルフで、典型的に家庭を顧みない昭和の父親そのもの。
それにしてもね、名前で呼んでくれないなんて、薄情すぎる。。
母親に文句を言ったこともあります。
「どうしてお父さんは、名前で呼んでくれないの?僕のこと、嫌いなのかな?」
母親や祖父母、親戚からは、「よっちゃん」と呼ばれていました。
母いわく、その甘ったるい響きが、父には恥ずかしいんだろうと。
でも、祖父からは「よしゆき」って呼ばれていましたから、同じように呼べばいいのになって・・・。母にも、よく分からなかったんですね。
だからずっと、
私は父に嫌われている、私に関心がないんだ、そう思い込んでいました。
無関心なくせに、都合のいいときだけ怒ったりして、ずるい。
褒めてくれないくせに、怒ってばかりで、ずるい。
いつもそう、感じていました。
親に愛されたくてしょうがない
そうして20歳を過ぎてから、事件が起きました。
これはたぶん、私の人生の中での最大の汚点です。
父親を殴ってしまったんです。
ことの発端は、私が学校の試験をボイコットして、卒業をフイにしたことでした。
就職がうまく行ってなかったのもあって、親に相談もせず、勝手に留年してしまったんですね。
あとで聞いた父親は激高しました。
そりゃそうです、相談もせずに留年なんて。お金がかかることですからね。
父が帰宅した深夜でした。怒りにかられた父親に胸ぐらをつかまれ、慌てた母親が「やめて!」と間に割って入ったんです。
そこで、「バチーン!」平手で叩かれたのは、母親でした。
女を殴った・・・。
我を失って、気づいたら、父親を一発、グーで殴ってたんです。
私の身体は急にブルブルと震えだしました。
自分で自分のしでかしたことに、ショックを受け、怖くなって・・・。
正座させられて、母と妹が私をかばおうとする中、怒りに震えた父の唇が切れて、血が流れているのに気付きました。
「親を殴るなんてどういう了見だ!」
「これからのことを文書にして提出しろ!」
もう私は完全に力が抜けて、あとは言われるままでしたよ。
それから家では顔を合わせるのも気まずいまま。
そんなこと、なかったかのように、時間だけが流れていきました。
もちろん、父親とはまともに会話することもなく。
まあ、思春期のころから、まともにコミュニケーションはとれてなかったんですけどね。
どう考えても、落ち度は私にありました。
私が殴られるのが筋でした。でも、結果は違ってた。
親を殴った。
この汚点はたぶん、一生消えないかもしれません。
そのころはまだ若く、母親を守った、女を殴る卑怯者から母を助けたんだ、そう思ってたくらいなんですけど。
そもそもの原因は私にあります。
今振り返れば、父親を困らせたかったのかもしれません。
ずっと無視されてきた痛みを、そっくり返してやる。そういう抵抗だったのでしょう。
ようするに、
私の半生はたぶん、父親に愛されたくてしょうがなかった、人生でした。
いい成績をとっても、いい子にしても、関心をもたれない、ほめてももらえない。
だから、もっと完ぺきにならなくちゃいけない。
足りないから愛されない。もっと頑張らないと愛されない。
そう思い込むようになっていたんです。
そもそも子供は、親が大好きです。
「愛されたい」そして、「認められたい」と切実に願っている。
でも、望むようには思いが満たされないとき、親を嫌いだと感じます。
何だかまるで、片思いみたいですが。
親に認められたくてたまらない
30歳頃に遅いひとり暮らしをはじめ、35歳で独立して仕事をし始めました。
でも、両親にはそのことを黙っていました。
怒られると思ってたから。
十分に大人だったのに、おかしいですよね^^
ようやく伝えたのは、39歳のときです。
その頃、私よりも4歳も若いいとこの男性が、子どもが生まれたばかりで、仕事中に急逝してしまいました。
その彼の葬儀のとき。
私も、父も「いつまでも生きて会えるわけじゃないな」、そんな雰囲気でした。
不思議なくらい素直に、父に話しました。
「じつは独立して仕事をしているんだ。」
父はまた激高するだろう、そう覚悟してました。
でも、違ってた。
「え!・・・そ、そうか!あ・・・、で、会社のURLはなんだ?」
びっくりはしてましたが、笑顔だったんです。
好奇心に輝いた表情でした。
はじめて、父に認められたような気がしたものです。
それから、結婚したい女性がいると伝えて、二度びっくり。
父も、そして母も、その日はとても幸せそうに見えました。
それが7年前の話です。
あなたと親はやっぱり似ている
私に娘ができてから、実家への送り迎えは、父が車でしてくれるようになりました。
娘の成長や、私たち家族のイベントを、長年やめていたカメラでいつも撮ってくれます。一眼レフに、マニアックな機材を携えて。
ふと、思い出したんです。
ああ、私の小さい時のアルバムは、全部、父が撮ってくれたことを。
何十冊もある家族写真は、すべて父が撮って、アルバムに整理してくれてたんです。
私は父の愛し方に気づけなかった。
名前で呼んでくれない。
ま、それだけじゃなかったですが・・・。
でも、父は私に無関心だと決めつけ過ぎていたのかもしれません。
父に愛されていた、父なりのやり方でずっと。
今はね、すっかり仲が良いんですよ。
よその父子とは比べられませんけど、子どもの頃よりずっと、一緒にいて居心地がいいです。
父を愛している。今ならそう言えます。
たぶん、愛されてもいます。
お互いに不器用ですれ違ったままだったんですよね。
で、何よりもそういう気持ちになれた理由は、自分の父へのわだかまりに、ちゃんと向き合い続けたこと。
関心を寄せてもらえないさみしさ、父を殴ったという事実、そして、
何よりも重要な気づきは、父と私がよく似ているってことです。
似ているから、反発し合ってきた。
すごく単純で、シンプルな気づきでした。
そう思いはじめると、いろいろ許せるんですよ。
父の不器用さも、愛情表現すらも。
似ているのは当然ですよね。
遺伝子を両親から半分ずつ受け継いで、幼い頃に一緒の時間を過ごして、多大な影響を受けてきたんですから。
私は父が、子どものような笑顔で私に話しかけてくれるとき、愛されていると感じます。
父の撮ってくれた写真を見ると、幸せな気持ちになれるんです。
自分のわだかまりに向きあって、よかったと、心から思うんですよ。
自分をもっと好きになるために
「親が嫌い、親のことが許せない。」
そこにはいろんな事情があって、思い出すのもためらうことが、あるかもしれない。
でも、親を許せないと、人生のつまづきが多くなります。
だって、親を嫌うってことは、自分を嫌うってことだから。
自分のことが嫌いなままで、どうして幸せになれるんでしょう?
自分のことが嫌いな人を、どうして誰かが愛してくれるんでしょう?
実際に会って、握手するような和解は必要ないんですよ。
会って許さなくていい。
ただ、自分の中では怒りやや不満は消化できるよう、まずは親への正直な気持ちと向き合ってみてください。
ひとつご提案。
「あなたと親の共通点を、リストアップしてください。」
いいところも、そうでないところも正直に。
そこから、人生が動きはじめますから。