おとといは十五夜、家族でお月見をしました。
すると、4歳の娘が団子をほおばりながら、こんなことを言ったんです。
「お月さまが発表会してる♪」
雲間から顔をだした月が、ステージに上がった芸能人のようにでも見えたらしい。
娘「お客さんに見せてるんだね♪」
私「へ~。歌とかダンスとか、してるの?」
娘「美しさをあたえてるんじゃない?」
え・・・、絶句。
美しさを、ア・タ・エ・テ・ル?
思わず、ドキっとしてしまいました。
美しいものを見て、そんなふうに考えたことが一度もなかったから。
おしゃれや外見を磨くことへの罪悪感
「美しさを、与えている」
その言葉を聞いたとき、ハッと自分のなかに残る、ひとつの根深い感情に気づきました。
おしゃれやファッションへの罪悪感。
モテるために外見を気にするって、じつはちょっと、抵抗があるんですよね。
男だからかな?ってずっと思ってたんですけど、ふっと、苦い記憶がよみがえりました。
私、中学生になってから、ひどいニキビ顔になって、19歳くらいまで続きました。
毎日、毎日、鏡を見るのが憂うつで・・・。
いろんな薬を塗っても、ちっとも、治りやしない。
通学の電車で四人掛けのボックスシートに座ってると、向いに座った見知らぬおばさんにこう言われる。
「あらま~、ひどいニキビ。かわいそう、ウフフ」
一度や二度じゃありません。
友だちにはこう言われました。
「ひっで~顔だな、笑」
外見をまるごと否定されたような気持ち。
そのころからいつも私の頭のなかで、こういう言葉がこだまするようになったんです。
「人間は外見じゃない、中身だ!」
出会った人をいい気持ちにするために
私は若い頃から「心や意識」という内面に強い関心があるのですが・・・、そのせいなのかもしれませんね。
にもかかわらず、美人を前にしたら照れるし、イケメンを見たら嫉妬します^^
中身が大事だと、思いながらも、やっぱり美しい人や、美しいものに憧れているんです。
モテるために外見を着飾る。
ずっと、うわっつらだと思ってました。
美しくありたい、かっこよくなりたい、そう思いながら、見た目を気にする自分を軽蔑してもいる。
それが・・・、ふっと、この言葉でやわらいだ。
「美しさを、与える」
ああ、美しくあるって、人を幸せにすることなんだ。
好かれたいとか、モテたい、よく見せたい、ばかりじゃない。
出会った人をいい気持ちにするために、すこしでも外面を磨いたり、美しく着飾ったりしていい。
それなら私でも、オシャレすることの罪悪感がわかないなって。
美しくあることに許可を出す
ときどき、自分をあきらめてしまったかのように、外見に無頓着な人を見ます。
男女を問わず、オシャレをすることや、着飾ることへの罪悪感があるのかもしれませんね。
美しくなりたい、かっこよくなりたいのに、それを自分に許せないでいる。
もしかしたら・・・、
幼いころや、思春期の経験だったり、容姿へのコンプレックスや、家庭の影響をつよく受けている人もいるでしょう。
親からオシャレをしたり、色気づくことを否定されたりとか。
でもね、やっぱり美しいって、ステキなことだと思うんです。
仕事もそうですが、とくに恋愛したい!結婚したい!のであればなおのこと。
美しいこと、かっこよくあること、清潔であること。
これって、自分のためだけじゃない。
あなたと出会った人たちが、いい気分になる。
あなたが「美しさを、与える」ことで、周りを幸せな気持ちにできる。
十五夜に華やぐ、お月さんのように。
他人と比べる必要はないし、自分なりのビフォー、アフターでいい。
少しでも美しく着飾ったり、身だしなみを整えていく。
美しくあること、美しくなることを、自分に許可していきましょう。
美しさを与える
娘はね、ひらひらのスカートが大好きなんです。
ベランダに出て風になびかせたり、鏡の前でくるっと回ったりして。
女性にとっては、美しさは本能なんでしょうね。
美しくあることに罪悪感をもつ必要なんて、これっぽっちもない。
あなたが持っている美しさを、人を幸せにするために使ってください。
ファッションやメイクだけじゃなく、笑顔や所作でだって、美しさは与えられますよね。
持っているものをすべて、惜しみなく振りまいてください。
与えたら、かならず、恵みが返ってきますから。
直接は返ってこなくても、いつか回りまわって、恋や幸せという形であなたのもとへ返ってきますから。
「美しさを、与える」
美しくあることを自分に許して、出会った人を幸せにしていきましょう。